7月7日は七夕の日。
七夕と言えば、彦星と織姫の伝説が有名ですよね。
離れ離れになった彦星と織姫が、一年に一度、7月7日の七夕の日に会えるというお話です。
七夕は中国から伝わった行事や彦星と織姫の伝説、日本の神事が合わさって、現在の形になったと言われています。
日本では、笹竹に願いを込めた短冊を飾りますよね。
これは中国古来の行事、乞巧奠(きこうでん)が元になっていると言われています。
でも、現在の中国では七夕に願い事をするという風習はなく、彦星と織姫の伝説にちなんで恋人の日として捉えられています。
ここでは、中国の七夕の捉え方や彦星と織姫の伝説、日本との違いについてお話したいと思います。
中国でも食べ物はそうめん。その意味は?
七夕に食べる食事として、そうめんを思い浮かべる人も多いでしょう。
そうめんに星形の薄焼き卵や切ったオクラなどを飾れば、七夕にぴったりな食事になりますよね。
では、なぜそうめんを食べるようになったんでしょうか?
元々、七夕は中国から伝わったものです。
中国では、七夕の日にそうめんの元となる索餅(さくべい)を食べていました。
索餅は、小麦粉と米粉を練って縄状にしたお菓子です。
中国で索餅を食べるようになったのは、古代中国の言い伝えが元になっています。
古代中国で帝の子供が7月7日に、熱病で亡くなりました。
そして、霊鬼神となって高熱を流行らせたため、子供が好きだった索餅を供えて流行り病を鎮めたという言い伝えです。
そのことから、健康で元気に過ごせるようにという願いを込めて、七夕に厄除けとして索餅を食べるようになりました。
その風習が日本にも伝わりましたが、索餅は固く食べにくかったため、そのうちそうめんを食べるようになったと言われています。
つまり、七夕の日にそうめんを食べるのは厄除けという意味もあるんですね。
また、七夕に元になった行事の一つに、中国の乞巧奠(きこうでん)というものがあります。
この乞巧奠という行事は、織姫の話にちなんで裁縫や機織りが上手になるように7月
7日に行われていました。
それに基づいて、機織りに使われている白い糸をそうめんに見立てて食べるようになったということです。
他にも、そうめんの流れるような姿が、天の川に似ているからという話もあります。
このように、いろいろな理由によって七夕にそうめんを食べる風習が生まれたんですね。
ですが、今の中国ではこれらの風習を行う人はいません。
彦星と織姫の伝説にちなんで、七夕は中国では恋人の日と捉えられています。
恋人にプレゼントを渡したり、一緒にご飯を食べたりなど、どちらかと言うとバレンタインのような行事になっているそうです。
つまり、七夕にそうめんを食べるのも日本だけと言うこと。
また、願い事を短冊に書くということも、日本独自の風習なんです。
中国から伝わった行事なのに中国では行われず、日本で広まっているとは何とも不思議なことですね。
中国の彦星と織姫の伝説
彦星と織姫の伝説は元々、中国から伝わったお話です。
中国の牛郎織女(ぎゅうろうしゅくじょ)という物語が発祥となっています。
ですが、中国と日本で内容が違うって知っていましたか?
まずはあなたも知っている、日本のお話からご紹介しましょう。
中国の彦星と織姫の伝説(日本版)
天の国に織姫という美しい機を織る娘がいました。
しかし、身なりも気にせず一生懸命働くので、不憫に思った神様は婿を探すことにしました。
その婿として、牛の世話を真面目にする彦星が選ばれました。
二人は結婚して仲良くしていましたが、さぼってばかりで全然仕事をしません。
そのことに怒った神様が、天の川を挟んで東と西に二人を引き離しました。
しかし、あまりにも二人が泣くので、一年に一度7月7日に会うことを許しました。
その日、二人が天の川に立つと、沢山のカササギがやってきて天の川に橋をかけてくれました。
そうして、二人は無事出会うことができたということです。
日本ではこのようなお話です。
中国の彦星と織姫の伝説(中国版)
次に中国の彦星と織姫の伝説をご紹介します。
元になった牛郎織女の物語です。
牛郎という青年は、父母をなくし兄夫婦と一緒に暮らしていました。
とても真面目な働き者でしたが、意地悪な兄嫁がわずかな土地とボロボロの大八車、年老いた一頭の牛だけ与えて追い出してしまいました。
1人で暮らし始めた牛郎は、年老いた牛をとても大切にしていました。
牛は牛郎に嫁を世話してやろうと考えます。
そしてこう伝えました。
「〇月〇日に七人の天女が天の川で水浴びするから、そのうちの一人の服を盗みなさい。
そうすれば、その天女がお前の妻になります」
その通りにすると、その天女(織女)は牛郎の妻になりました。
そして、子供も産まれ仲良く暮らしていました。
しかし、その話を知った天女の父は怒って、西王母をつかわして天女(織女)を天に連れ戻しました。
織女を失った牛郎はとても悲しみました。
見かねた牛は、自分の角を追って船にし
「子供を連れて船に乗り、雲をかきわけ織女のあとを追いなさい」
と牛郎に言いました。
牛郎はそのとおりにしましたが、あと一息というところで西王母はかんざしを抜いて二人の間に線を引きました。
それによって、空には天の川が流れたため、牛郎と織女は見つめあうことしかできません。
それを見て感動したのが鳳凰です。
カササギを集めて、天の川にカササギの橋をかけました。
そして、二人は七夕の日に出会うことができたということです。
ずいぶん話が違いましたね。
どちらにしても、仲の良い二人が引き離され、一年に一度会うことを許されたというお話です。
伝わる過程で、いろいろとお話の内容も変化していったということですね。
中国の七夕は恋人の日?!伝説と七夕の関係のまとめ
七夕とは中国から伝わった行事や伝説が元になったことを分かっていただけたでしょうか?
伝わるうちに、日本独自の行事になったということですね。
伝説も中国と日本でかなりの違いがあります。
どちらにしても、7月7日の夜には天の川で彦星と織姫が出会えていると思うと、とてもロマンチックです。
中国で恋人の日として七夕が行われているのも、納得できますね。